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玉連山真成寺さま開創500年祭②龍の如く

さて、500年という時間をいかが想像できますか?

こちらの玉連山真成寺さま、「さかのぼること戦国時代、永正14(1517)年の開創」ということで、現代を生きるわたくしたちには、「物語の中」なのが現実です。

察するに、幾多のエピソードを乗り越えられ、この500年という節目を迎えられたことは、便利な社会に生きるわたくしたちの脳の範疇には留まり切れません。

 
先にも書きましたが、次の節目を迎える時にわたくしたちは生きてはおりません。(たぶん)

そう考えると、この節目に生かされたご縁という結び目は、「有難い」という漢字の表現がふさわしく思います。

 
①こちら→玉連山真成寺さま開創500年祭①龍の如く
 
 

 
奉納染筆のその時、わたくしは夢中、一生懸命、集中、無、そのどれもが近くて遠く、ただ一つ例えることができるなら、「真空の中」にいました。

音楽なし、リズム音なし、見る人の息遣いあり。

紙の上を滑る音、墨の音、お線香と墨が空を漂い、出会う運命を知っていたかのように絡み溶け合う、香り。

「わたくし」という自己はその世界のどこにも存在せず、意識はなく。

ただソレ以外に何もない。

 
 

紙の上を動く墨は、勢い良く進み、龍のうごめきを見せてゆく。
 

 
その鱗がメラメラと激しく揺れ、血を吹き出し、500年の静寂を抜け、その命は「ここにある!」という叫びを放ち、新たな始まりを示唆した。

 
 
 
わたくしは天井に生きてきた龍の遣い手となり、白い紙にメッセージを降ろし、またその龍とセッションをするように筆を大きく跳ねあげました。

 
そして、この500年祭に準備した落款を取り、現代へと息吹を吹き込みました。


 
 
日蓮宗マッスル部のお坊さま(荒行をなんども経験されてる敬意を表し、勝手にマッスル部と呼ばせていただいておりますが、みなさんその鍛えっぷりがすごくて、マッスルなんです)墨を取ってくださいました。

この龍を改めてみていただくと、会場からどよめきが。。。
 

 
副住職さんが、この本堂天井に描かれている龍のお話を伝えられました。

この地に500年、本堂の仏様、龍神さま、お坊さま、檀家さま、その中心に心があって互いを守られてこられました。

 
わたくしとのご縁をつないでくださったのは「水神」である、「龍神」さまでした。

「水行」というポスターを見た瞬間から「参加したい!」と、即参加を決意し、ひとりで富山県魚津市へと向かい、雪が舞う中、白装束、裸足で挑みました。

 

最初のひとすくいした桶の底に描かれていたのは「龍」。

その時からご縁を感じ、今年4年目の「水行」へと向かいます。

 
そして今年は、染筆させていただきました御礼をさせていただきます。

 
この染筆の凛とした、そして固唾を飲んだこのにいた人々の緊張感、見守る御本尊さま、龍神のうごめき。

この空間、この時の空気をわたくしは一生忘れることはないでしょう。

 

 
そして、書き上げた文字は、もう二度と書けないような不思議な作品というか・・・

「龍」そのものとなっていたこと、何度みてもドキドキとする鼓動が鳴ります。

 
みなさまをお守りされますように。

合掌

 
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