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沖縄 龍宮神1

4月沖縄。

メインは、沖縄一宮の波上宮様へご挨拶と染筆奉納のお打ち合わせ。

そのことに際し、もう一つのメインは龍宮神へご挨拶。


沖縄「龍宮神」をご存知だろうか?

それにはまず、「ニライカナイ」の話をしなければならない。


ニライカナイ。

沖縄では海の彼方、海の底、にある異世界を指している。

海の中の異世界と聞いて、日本人であればハッと思い浮かぶ方もいるだろう。

そう、龍宮城。

 
海の底、彼方にある、ニライカナイは神の世界、生命の源であり、その世界から神がやってきて豊穣をもたらし年末には帰る。

また生命はその世界から来て死後はその世界へと去っていく。
なので守護神となった祖先がいる場所でもあると。


また海神(わたつみ、かいじんともいう)それは龍神のことでもあります。

その神に手を合わせる遥拝所が、「龍宮神」なのです。
(※遥拝ようはい:離れたところから手を合わせる場所)


そしてこの「龍宮神」。

西回り、東回りとそれぞれ7ヶ所あると教えてくれたのが、webを通し出会った、舞さんの話からだった。

「コレだ!」、間違いなく、自分の中のセンサーが鳴った。

・西回りは女性エネルギー
・東回りは男性エネルギー

それぞれ7ヶ所で、本島をぐるっと14ヶ所あるという。

知るうちに今の自分のセンサーの働く全ての龍宮神にご挨拶に行きたくなったのだ。

やがて4月初旬、那覇空港に降り立った。

人生で3度目の沖縄も、太陽は眩しく大歓迎してくれた。

レンタカーをピックアップ。


まずは、西回り1番に手こずりながらもなんとか辿り着き、その後はA&Wで乾いた喉を癒すべくルートビアをジョッキでいただく。

気分はもう、しまんちゅ♪


それからは、朝出発してから陽が落ちるまで、島ロードにタイヤを転がす5日間の旅。

音楽はない、話す声もない、波を聴き、風を感じながら、時々音程の外れた島唄が旅のお供なのだ。


海のそば、川のそば、港の一角、公園の片隅、岩屋の中、海の中、海の岩、岸壁、龍宮神の遥拝所は至る所にあるが、地元を知らない人にはとても探しにくい場合もある。

初日に14ヶ所回るうちすぐに勘を掴むことができ、だいたいの場所がわかれば、「あ、ここ!」と、わかってくる。

そして、それぞれに放っているものも全く違う。

44ヶ所。

4日間でご挨拶した、龍宮神である。

取りこぼしもあり、自分が調べるに及ばない龍宮神もあるだろう。


ただ巡った龍宮神の詳細をここでは伝えない。
なぜなら、祈願したらいいことがあるとか、巡った人が賞賛されるとか、そういうものではない。

ご縁があるところに、ご縁のタイミングでたどり着けるものだろう。


龍宮神を巡り感じたのは、沖縄の人々の神と共に暮らす営み。

それぞれの日常の中にご先祖様、神様、自然、祈りと共にあるのが、御嶽(うたき/祈願所)、遥拝所、龍宮神である。

これは、同じ日本人として生きるわたしたちよりも遥かに身近であり、自然なこと。


そういう営みの中に対してとても残念なのは、到底地元の人がやったとは思えない、キャンドルの使い終わったゴミ、魔除けと言われる葉や木々を燃やした後のゴミ、「ここで線香たくな」という地元の人の怒りの張り紙である。

あくまで、その土地に暮らしてきた人々が先祖代々守ってきた大切な場所。


近づいてほしくない拝所は、近づくなというエネルギーを放っていて、深追いは禁物であるし、歴史も事情も知らぬただの通りすがりのヨソものは、ひっそりと手を合わせて静かに素早く去るべし。

少なくともわたくしはそのように感じ、そのように粛々とご挨拶して去っていた。


そして、5日目に尋ねたのは、神の島と呼ばれる久高島。

2014年の8月に訪れた一度目はガイドさんをつけて巡り、2度目の今回はレンタル自転車で巡った。

1度目の時には、なんの看板もなかった島に、観光案内の看板が増えていて、わかりやすく嬉しい気持ちと少し残念な気分が重なった。


港から船で15分人口200人ほどの小さな島は、いたるところが拝所で聖地。

またこの久高島は、島自体がニライカナイにつながっている聖地なのだともいわれている。

今もこの島だけに伝わるイザイホーという神ごとを女性が継承していて、島は厳かな雰囲気と爽やかな空とが交わる場所である。

 
この島で神聖な空気と共にニライカナイへ手を合わせ龍宮神巡りを締めくくった。


ここ沖縄には、わたしたち日本人が忘れようとしている、何かがまだ残っている。

つづく

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