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宇宙からの通信

こんにちは、書家アーティスト 槻岡果加梨です。

さて、

 
先日、大好きな伯父を亡くしたのです。

この3年間は、医療機関併設の施設にいて、少しずつ宇宙と交信が始まり、年齢的に体力的にそうか…という覚悟があり、亡くなったと聞いて、やはり「そうか」と、受け止めたのです。

 
つもりだった…。

覚悟は自分を納得させようとする防御壁で、自分は自分のことをわかってはいないのだと…、

荼毘に付される斎場で泣きながら感じた。

 
やはり、見える世界にいてくれて、見えなくなることは、理屈、理論、宇宙のウンタラを唱えられようと、切ないのが現実だった。


 
農機具屋を営む両親の元で長男として産まれ、不自由なく暮らしていたが、戦争へ召集され海に居たこともあると、晩年趣味にしていた記憶だけで彫った木の帆船を眺めながら話してくれたこともあった。

満州にいた伯父の父でありわたくしの祖父は、骨身でも帰っては来なかったという。

祖母もほぼ同時に病で亡くし、残された土地と家と財産は、大人達にお金に替えられ、親戚に分配された。

3人兄弟の弟の一人も亡くなり、6つ年下の弟と2人で、戦後の真っ黒な焼け野原を横断し、親戚の家を転々と間借り生活をしたと聞いている。

 
両親が居ない寂しさ、悔しさ、それらをバネに市役所職員となり、思春期の弟の父がわりとして立派に育て、結婚させた。

その伯父の人生をわたくしの知ってるところだけ繋ぎ合せ・・・「今度産まれた時は、天真爛漫に青春を謳歌する青年でいて欲しい」、そう願い手を合わせた。

斎場の担当者の職員さんが、「26年間人の骨を拾ってますが、非常に珍しいものが出てきました・・・」と、見せてくれた。

小指の爪ほどの「しゃれ佛」という・・・骨が小さなお釈迦さんの形をしている。

 
沢山の仏像を彫っていたその恩恵?かも知れないと、お坊さんと職員さんが感心して話していた。

加えて、伯父の最後の姿はお釈迦さんの苦行のあとそのものだった。

それらが重なり、きっといいことありそうな涅槃旅行への旅立ちだった。

天寿全う・・・


 
6歳下の弟くん、わたくしの父と伯父は似ていて、シャイで、厳しくて、無口で、なのに暖かい。

伯父は、わたくしの個展に足を運んでくれたこともあった。

父はわたくしが書家になったことを知らないので、とても嬉しかったことを覚えている。

 
父を大事にしてくれたこと、わたくしたちを大事にしてくれたことに感謝し、「ありがとう」と最後につぶやいた。

 
初七日でお坊さんが、こんな話をしてくれた。

「偲ぶ」。

人はいずれ迎える「死」がある。

それらをただ悲しいものとして捉えるのではなく、「人」を「思い」、「偲ぶ」ところから、今生きるわたくしたちのメッセージを受け取り、人生をよりよくいきる・・・それが故人の供養にもなる。。。
 
 
そう。

いろんなメッセージを受け、わたくしも届けた。

 

もう、

わたくしたちには、「好きな人と、好きなことをして、心地よく過ごす時間」、それしか残されてはいない。

生まれた時からずっと・・・
 

合掌
 
 
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