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ひとふみに咲く えがおの花

時々いただくお葉書に万年筆の綺麗な文字が、一筆添えてある。

神社からの、年始の挨拶、お祭りの案内。
そんなお便りに初めて返信をしたのは「あの時」の感謝を伝えたかったから。

・・・あれは、数年前。

大阪に仕事に出向いた際に、少し足を伸ばし飛行機に乗った。

所用を済ませ、熊本駅前からレンタカーを借り、まずは阿蘇に向い、それから取り憑かれたように17社の神社を巡った。

かなり印象深い神社は三ヶ所。

そのうち二ヶ所の神社は、高千穂の崖伝いの道を進んだ山の中にあった。

秋元神社

一ヶ所は、イチョウの葉が黄金の絨毯のようにひろがっていた秋元神社。
もうひとつは二上神社。

どちらも、呼ばれないと行けないと言われている神社である・・・

すれ違いもできない崖沿いの道を進んで行けば、誰しもが納得するかもしれない。。。

二上神社に向かっている時である、主道からまもなくで通行止めの案内があり、車を止めた。

ー二上神社は迂回してくださいー

熊本地震の爪痕は、宮崎の山間部でも多く見られた。

どれぐらい迂回するのかなぁ?
検索しようか?
それとも諦めようか?

・・・・考えていた時である。

ウルトラの軽トラおじさんが登場した!

そして少しわかりづらいという迂回路を案内していただくことになった。

慣れた運転の軽トラの後ろを離れないように必死について、40分ほどして神社の境内に到着した。

そこは少し肌寒さを感じる、森の中の杜。

木の葉の間からキラキラとした光が漏れひろがり、鳥の声が静かな境内に響く、くまなく見ずともわかるほど綺麗に手入れされた、神聖な空気の場所。

二上神社参道

おじさんから数日前にあった夜神楽の話を聞き、「いつかお祭りにおいでよ〜」と言っていただいた。

「こんな山の中に来てくれてありがとう!それが嬉しいよ〜今来た道を戻ればいいからな、気をつけて帰るんだよ」、一緒に走って40分、話して3分ほどの短いやり取り。

はっ!と思い、ここに来る前のコンビニもない町で唯一みつけた生協、そこでお土産にと買ったトマトラーメンを思い出し、「お昼に奥さんと食べてください」と、お礼に差し出すと、おじさんはかなり恐縮しながらも喜んでくれてもらってくださった。

おじさんが見えなくなるまで手を振った後は、静かにゆっくりと神社を参拝し、境内で気を感じながら、深く呼吸をした。

どうしてここに来たのだろう。
阿蘇に着くまでは、名前も知らなかった神社。

これは不思議なお導き、神社宮司さんのお家の方だったという・・・おじさん。
いつも書かない芳名帳に「ありがとう」と一言、名前を残した。

二上神社

それから、しばらくで年始の挨拶が届いた。

「あの時」のお礼の便りを出したら、次には「案内のおじさんも神楽を舞う」と書いてある♪

ただ一度訪れた神社。
遠く離れた宮崎高千穂と石川金沢で、会ったこともない宮司の奥さんの禰宜さんと文通が3年の縁をつないでいる。

暖かなな、ひとふみ。

スマホがどれだけ便利でも、AIがどんどん進化しても、わたくしたちは、「人が書いたもの」に関して、なにか現し身のような「魂」や「心」を感じている。

年賀状の手書きが妙に嬉しかったり、手紙がなかなか捨てられなかったり、小さなメモをいつまでも取っておいたり、亡き人の文字が愛おしく涙したり。

手書きの文字が、電話、メール、ビデオ、既存のフォント、とは違った心に暖かいものを運んでくれている。

暖かいひと言


今、わたくしたちは、何もかもが当たり前ではなかったということを、教えてもらっているような時を過ごしている。

自然と共存するありがたさ、生きとし生けるものと生きること、大事なものを大切にすること、ありがとうと感謝すること、健康であること、明るくあること、笑顔がどこまでも大切なこと。

目の前のもの、ひとつひとつ、ひとりひとり、頬をかすめる風さえも、ご縁であり、それらをしっかり受け止める、静かな時間をいただいている。

暖かい心を運び、暖かい心になるように、会えないあの人には、文(ふみ)に変えて言葉を綴りたい。

ひとふみが、きっとあの人の笑顔の花を咲かせてくれるだろう。

どうか明日も、笑顔でありますように(^^)♪

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